kirinsan.org末席として参加してきました。いえーい無冠!!!熊谷温泉、たいへんいいお湯だしご飯はおいしいし、
あれっ何しに行ったんだっけとなりそうなものなのだけれど、そんなことはなかった。一分一秒が濃い時間を過ごさせてもらった。
受賞者の皆様、おめでとうございます。
スタッフの皆様、参加者の皆様。
有意義な経験と場を用意していただけたことに深く感謝します。
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今回、とにかく悔しかった、という感想が正確だと思う。
ウチが一番狂ったものを作っていた、という自負はある。
技術的にもかなり高度な(そして、細やかな)ことをやっていた。
実演での失敗は無論手痛かったけれど、
アイデアの切り口と実装力の高さがまったく評価されなかったこと。
これが、すごくすごく辛かった。
プロモーションで「これはやるべきだ」と感じたことは、全部やった。
『QUE』のアイデアは、音が文脈へ拡張可能なことに大きな意味がある。
音楽を付けた動画を見せる、というのは、その「間」を埋めること。
だから強く主張したし、ちゃんと最後まで作れたし。
ただ、「やりきった」感があったからこそ、手ごたえの無さが悔しい。
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私はあまりtechkyな人間ではない。
テクノロジカルな意味では、チーム内で唯一の門外漢として参加している。
元々、ひとり音屋でデザイン作業まで全部やっていたので、CSSまでは書けるし、
PHP改造くらいはやるし、PC自作したりもする(そして組み方が汚いと怒られる)けれど。
ただ、私、如何せん仕事が超絶に遅いので、この集団内でやれることってほぼない。
エルヴィス氏が水素水アプリを作っている現場をその場で見ていたんだけど何やってんのか全然わかんなかったし、田中君がエアねこでALPSセンサを解析してiPhone用にプログラムを新規で書き起こしたとか、ディベロッパーサイドがとりあえずものすごく頭のおかしいことをやっていたらしいのは認識しているのだけれど(そして今回のやつも、にュウ君と2人、テクノロジーのハラワタに腕を突っ込んでグリグリやっていたらしいっぽい)、「この人たち相当に狂っているのでは??」程度しかわからない。
藪君のデザイナとしての仕事の速さとアイデアのキレの壮絶さも、
にュウ君のフットワークの軽さや思考のスマートさも知っている。
とはいえ、実作業では私にできることって割と限られているので、
とにかくチームの方向性を俯瞰し続けるのが仕事だ、と認識している。
それと、チームの理念。
ただステージに立ちたいわけじゃない。
褒められたって全然嬉しくないわけじゃないけど、
それを一番に望んでいるわけじゃない。
ひとに、世界の見方を変える「何か」をぶつけて、確実に世界を動かしたい。
そういうものを作りたい。
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今回、テーマ・実演で失敗した、という点を差し引いても、
一部の審査員の方には「全く刺さらなかった」印象があった。
kirinsan.org、私は参戦4回目なんだけれど、イロモノ枠に見えて、
硬派というか地味なプロダクトを作りたがる傾向がある。
メンバーが増えてやれることが増えるほどに、これが重篤になっている
(というか、多分これがリーダー的にやりたかったことなんだろうなという感じはする)。
このスタンスは競技の「勝ち」セオリーに根底から反している。
前回・今回の受賞作品をあらためて検証すると、ハンデとしては致命的だ。
わかりやすく、ユーモラスで、わかりやすい華やかさのあるものを。
今、ギョーカイ的に「ホットな」テクノロジーを上手く引用して(手間をかけずに)。
製品としてリリースできる程度の完成度で。わかりやすく、誰にでも判る題材で。
「WORLD」も「音録」も、これにキレイに当てはまる。
わたしはどっちかっていうとアーティストなので、このあたりの作品の
「どこが美しいのか」「どこが当たったのか」も、
たぶんきちんと説明できるのだけれど、方向性がはっきりと違うし、
おそらく、この方向のモノが評価される場所では、
「nemimi」や「QUE」を評価させるのは難しい。
でも、これは「それがやりたい」人たちの集団でもある。
そこを外してしまったら我々ではないし、多分みんなやる気にならない。
これで勝つためにはどうしたらいいのだろう、と。これが今回の反省点。
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IDEA(イデア、でもアイデア、でも)やツールの凄さって、
コミュニケーションを介さないと伝わらないのだと思う。
競技としてのハッカソンで求められるのは、その「使い方」「見せ方」の、
しかも(自閉性障害持ちとして言えば、定型発達者的にわかりやすい)面白さ。
コアとなるアイデアやツールの革新性ではない。
私は、まぁ、いちおうは(全然食えていないけれど)音楽屋で、
芸や作品を「リーチさせる」現場というのを、それなりに(通常の人よりも)、
不器用なりに観察してきている。不出来なりに、そこはシビアに見てきたはず。
だから、そのあたりは肌感覚としてよく知っている。
日本人として「ふつうに生きられる」人々にプロダクトをリーチさせる難しさも。
理念部分に研ぎ澄ましたものを用意していても、新規性が高ければ高いほど、
人に届けるためにはものすごい量の「ツカミ」が必要になる。理解の道筋。
既存のアイデア、スノッブな希求性、わかりやすさ、イコールシンプルさではない。
イージーであること、歩く人にとってイージーであること。
これらが無いと、アイデアの可能性や拡張性は、わからない人には伝わらない。
技術を売る」側の人たちが求めているのは、アプローチの新規性ではない。
売れるのは「真新しそうに見えるもの」であって「新しいもの」ではない。
帰りの道すがら、何故ひとびとはVRVR言っていてARに注目しないのか、
という疑問を呟いたところ、「あれは(某企業に)食い荒らされたからもうダメだ」と、
チーム全員から、異口同音に聞かされた。
技術の根底も、保持する可能性の量も、変わることなんて無いはずなのに、
「食い荒らされたら」無価値になる、そんな世界。
アイデアというのは、人間世界ではひどく儚い。
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わりと好評いただいているらしい、予選作品の「エアねこ」。
あれはTeckyな部分でもアイデアの掘り下げ方や切り口でも、
両方向にかなり狂った作品だと自負している。
あれは確かアイデアの根幹を誰かがぽつりと呟いて、そこにやいのやいので
「猫を実在させるための技術仕様」を放り込んでいく形で生まれたのだけれど、
(確かタイトルは田中君で、初期案は「インスタ家族」だった)
あれの「凄さ」がわかっている人、そんなに居ないんじゃないかな、と思う。
あれは、「家族」の概念を拡張するツールだ。
ただ「仮想の猫を飼う」だけではない。
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あらゆる「当たる」プロダクトには、「愛」そのもの、
みたいなものが備わっている、と、私は認識している。
人の無力感を取り除く。世界に対する主体性と全能性を取り戻させる。
これはつまり、幸福にするということ。
エアねこの「猫」は、媒介物として完璧に機能していて、
企画としてはパーフェクトラインに追い込めた感触があった。
そして、今回の「QUE」のアイデアも決して劣らなかった。
そこまで掘り下げたし、行き着けたと思っている。
ただ、今回、ツールであるが故の「華の無さ」が致命的だった感覚はある。
キレイに実演できたとしても、トップを狙えたかは、若干、怪しかったのではないか。
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実は、今回の2つはどっちも(技術力的にも)、場所を変えれば絶対に売れるよね、
という話はしている。繰り返すけれど、クレイジーなものを作った自負はある。
今回、最終的に負けたのは事実で。
でも、たぶん、我々、スマートな戦い方で競技に勝てたら満足、っていうんじゃないんだよな。
kirinsan.orgは、よくわからない集まり方をした面子の集まりだけれど、
ものを作り続ける姿勢においての「凶暴性」と「執念」、
この二つに通低したものを持っている、と思っている。
藪君やにュウ君とは、オープンソース童謡「きりんさん」誕生の前から、
かれこれ10年ほどの付き合いになるけれど、知り合ったころから、
そのあたりに共感する部分があったのかもしれない。
ここまで生きてきた時間がある。培ってきた技術がある。
そこにある種の哲学を持っている。
その上で我を通したい。現実を殴りつけたい。世界をひっくり返したい。
我々のやり方で勝ちたい。
別の戦い方ができるかっていうと怪しいけど。
ずっとそうしてきたし、これからもそうしたい。
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帰りがてらの反省会で曰く、「詰めが甘かった」と。
コアのアイデアの新奇性と実装力で勝負するならば、
まず、その場で完全なものを完璧に実演し、リリースしてみせる必要がある。
そのためにはチーム全体のパフォーマンスを更に上げていく必要がある。
と、まぁそういう話だったのかな。
藪君が常々「わからないやつが悪い」と言っていて、
私はいつもは、そりゃあかんやろとツッコミを入れる立場なのだけれど、
今回ばかりは思ったわけですよ。「わからないやつが悪い」、と。
アイデアのポテンシャルへの確信は今もある。
実現できるメンバーが揃ってるんだから、リリースできないはずがない。
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とはいえ。
わからない奴が悪い。
それでも、「わからないやつら」をわからせてやるのが我々の仕事であり愛だ。
未来はここにある。知っている。見えている。
わたしはそれを知っている。
勝ちに行きましょう。
ここまで流され抗い生きてきた我々にとって一年なんてきっと短くて、
でも、だとしても、世界を変えることは、そんなに難しくない筈だ。
その日は絶対来る。